Interview 「自分らしいやり方」で政治参加の大切さを伝えていく

東国原英夫のインタビューバナー

お笑い芸人「そのまんま東」としてキャリアを築きながら、40代で大学へ通い、2007年に宮崎県知事に就任した東国原英夫さん。知事就任後は、知名度を活かした特産品PRや公費削減などによって、地方行政をリードしました。「知事らしからぬ」その手法は注目を集め、地方自治・地方創生のお手本として、現在も講演依頼が耐えません。さまざまなメディアや自身のYouTube番組にて精力的に発信を続ける東国原さんに、政治家を目指した理由や、知事時代のエピソード、今後の展望について伺いました。

子どもの頃から憧れていた 「人を幸せにする仕事」

東国原英夫

――東国原さんが宮崎県知事に立候補された時、多くの人が驚いたと思います。お笑い芸人としてのキャリアを中断し、どのような思いで政治家を目指したのでしょうか。

僕は1957年(昭和32年)生まれで、当時の日本は高度経済成長期の真っただ中でした。日常生活の中心にテレビがあり、ニュースやバラエティ番組を通じて、国を動かす政治の力や、人の心を動かすエンタテインメントのすばらしさを知りました。そういった背景があり、実は、子どもの頃からお笑い芸人と政治家の両方になりたいと思っていました。

小学校の卒業文集にも、「将来はお笑い芸人と政治家になりたい」と書きました。それを読んだ先生から、困った顔で、二つの職業の共通点は何かと聞かれたのです。僕は「両方とも人を幸せにする仕事だと思います」と答えました。これが、僕の政治家としての原点であり、知事に立候補した時も同じ思いを抱いていました。

東国原英夫

――県知事に就任された後、東国原さんが県議会で発した「宮崎をどげんかせんといかん」という言葉が話題になりました。地元である宮崎県を変えたいと思ったのはなぜでしょうか。

僕は18歳で東京に上京したのですが、初めて会う人に「出身は宮崎県です」と自己紹介すると、必ず宮城県と間違えられたのです。ここまで知名度が低いとは……と、がっかりしましたね。地元の知名度を少しでも上げたいと思い、お笑い芸人になってからは、隙があれば「宮崎出身の芸人です」と口にするようにしていました。

地方創生につなげるには、まず知名度とブランドイメージを上げることが必要です。僕が知事になれば「たけし軍団のそのまんま東が知事になるなんて」と、注目が集まるでしょう。その勢いに乗って、宮崎の知名度を上げていこうと考えたのです。

――県知事に立候補された時から、地方創生のストーリーを描いておられたのですね。

その通りです。地域に注目が集まると、多くの行政課題が解決に向かいます。宮崎に行ってみたいと思う人が増えれば、観光客が増え、その中から移住しようと考える人も出てきます。人口が増えればインフラの整備も進み、学校などの公共施設も整備されて、街が潤う循環が作られていくのです。

お笑い芸人が県知事になるというのは、世間の皆さんからは無謀な挑戦に見えたかもしれませんが、僕の中にはしっかりとしたストーリーがありました。

マンゴーが自然落下する 瞬間を求めて

東国原英夫

――東国原さんが県知事に就任された後、宮崎の知名度やブランドイメージはどのように変わったのでしょうか。

県知事就任後は、ニュースからバラエティまでさまざまな番組に出演しました。宮崎の話題を提供し続けることで、知名度アップに貢献できると思ったからです。そんな中、東京や大阪など都市部で「宮崎はどこにあるか」を答えてもらう、聞き取り調査を行いました。テレビで連日取り上げてもらったおかげもあり、その調査では、88%の人が宮崎県の場所を正確に回答できました。知事就任前は、正解率が約20%だったので、知名度の向上がはっきりとデータに現れましたね。

――テレビで、さまざまな宮崎県の特産品が取り上げられていたことも覚えています。

宮崎牛やマンゴー、肉巻きおにぎりなど、さまざまな特産品をPRしました。中でも、一番注目されたのが宮崎マンゴーです。宮崎マンゴーは、糖度18度以上で甘くておいしいんです。ただ、これを「太陽の卵って呼ばれているんですよ」「1玉300グラム以上なんですよ」とPRしても、あまり印象に残りません。なので、番組に出演する時は「マンゴーに白い網をかぶせて、熟れすぎてポトッと落ちるまで待つ」といった点をアピールするようにしました。

――その瞬間を見たくなりますね。

テレビ局側もまさにそう思ったようで、マンゴーが落ちる瞬間をぜひ見せてほしいと、宮崎までロケにやって来ました。ただ、農家の方も落ちる時間をぴったり予測できるわけではありません。そこで、ある程度の狙いをつけて、ディレクターとカメラマンがマンゴーに張り付き、落ちる瞬間を待つことにしました。

ところが、数時間待ってもマンゴーが落ちる気配はなく……。ついに夜になってしまい、仮眠をとったところ、起きたら落ちていたそうです。そのドキュメンタリーがテレビで放送され、バズったことで、「マンゴーが落ちる瞬間を何としても撮りたい」と各局から申し込みが殺到しました。こうして、さまざまな番組で特集していただいたことで、宮崎マンゴーのおいしさが次第に広まっていったのです。

ピンチをチャンスに変え、 鶏の売上が11倍に

東国原英夫

――県知事としてさまざまな改革を成し遂げた一方で、苦労されたことも多かったのではないかと思います。知事時代の出来事で、特に印象に残っていることはありますか?

県知事に就任してすぐの2007年1月に、宮崎県内3ヶ所で鶏インフルエンザが発生しました。鶏インフルエンザは、今や全国で発生していますが、当時は宮崎だけだったのです。鶏インフルエンザの封じ込めには2つの課題があり、1つは鶏を殺処分しなければいけないこと。もう1つが風評被害の払拭でした。

宮崎は、鶏の出荷量が日本で2位です。なので、風評被害によって鶏の出荷ができなくなると、経済的に大打撃を受けることになってしまいます。この風評被害をどう払拭するかが、県知事に就任して最初の仕事でした。

――難しい課題をどのように解決していったのでしょうか。

鶏インフルエンザが発生してからの1ヶ月間、ニュースでは鶏を殺処分する映像が流れ続けました。宮崎にとって、これはピンチでしたが、チャンスでもありました。僕はテレビ局に対して、殺処分のニュースとともに、宮崎が鶏の生産数が全国2位、ブロイラー1位であるといった情報を必ず流してほしいとお願いをしたのです。つまり、マイナスなニュースを逆手にとって、宮崎が養鶏王国であることをPRしました。

PRの機会はほかにもありました。鶏インフルエンザの対応について農林水産省に陳情に行く時、僕は毎回、お土産の「じとっこ」という地鶏を、「み」と大きく書かれた紙袋に入れて持って行きました。その袋を大臣と自分のあいだに置いて、新聞社やテレビ局の記者が写真を撮る時は、「み」の字が必ず入るようにする。それを繰り返すうちに「東国原知事が持っているあの袋は何だろう?」「袋の中に地鶏が入っているらしいよ」と噂が広まっていきました。こうした取り組みの甲斐あって、県の物産館の鶏の売上は、僕が就任する前に比べて11倍に上がったのです。

――東国原さんならではの手法で、難題を解決されたのですね。

僕は行政に対して素人だったので、官僚出身の知事のやり方を真似してもうまくいきません。それよりも、僕にしかできない知事像を確立していくほうがいいと思ったのです。

お笑い芸人出身ですから、一番得意なのはバラエティ的にすること。鶏の格好をして全国を回り、宮崎の地鶏をPRしたことも注目されました。これまで、どの自治体の知事もやらなかった手法を取り入れたことが評価されたのだと思います。今でこそ、全国の知事や議員が法被を着たり、ゆるキャラのTシャツを着たりして県産品をPRするのが当たり前になりましたが、それを最初にやったのが僕でした。

若い世代の投票率を上げるために 発信を続ける

東国原英夫

――知事退任後は衆議院議員も経験され、今はメディアやYouTubeチャンネルなどを通じて、地方創生を含めたさまざまな発信をされています。講演会の機会も多いと思いますが、聴講者の方にどのようなお話をされるのでしょうか?

講演依頼で多いのは、やはり地方自治や地方創生に関する話ですね。それから、人生における挫折や失敗への対応の仕方、失地回復や立ち直りといった話を求められることも多いです。コロナ禍以降は、未曾有の事態をどう収拾していくかといったテーマも増えました。

――地方自治のようなかたい話を、笑いを交えてやわらかく伝えるのは、東国原さんならではのやり方ですよね。

東国原流を目指していますが、実はそこが一番難しく、チャレンジをしている最中です。パワーポイントで資料を見せながら、地方自治体とはなんぞやという話を延々とすると、講演会にいらっしゃった方の3分の1は眠ってしまわれます。僕の講演会は「絶対寝かせない、絶対に退出させない」ことをモットーにしているので、なんとなく話を聞きに来た方にも興味を持っていただけるよう、エピソードトークや笑いを散りばめるよう工夫しています。

東国原英夫

――ありがとうございます。最後に、今後の目標や展望について教えてください。

僕の最終的な目標は、若い世代の投票率を上げることです。そのために、まずは自分が表に出て、知名度や影響力を維持するよう努めています。2022年に再び宮崎県知事選に出馬した理由・目的の一つは、若者や全体の投票率を上げることでした。

若い世代の投票率を上げるためにもう一つ重要なのは、日常生活の中で政治や行政の話ができる雰囲気を作っていくことです。日本では、世間話の中で政治や宗教の話をすることがタブー視されがちですよね。若い世代には、こういった見えない壁をどんどん切り崩していってほしい。そのためにも、中学校や高校の式典やイベントにお誘いいただいた時は、できるだけ参加して、政治や行政をわかりやすく伝える努力を続けています。

取材・文 東谷好依
撮影   竹田靖弘

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